飛び島街道 御手洗  2016年4月30日        

御手洗地区は17世紀の中頃形成されて以来、江戸時代の約200年間を経て昭和初期に至るまで、瀬戸内海交通の中継港として、各時代に応じた発展を示し、その痕跡を今も集落内に留めています。
特に江戸時代には、風待ち、潮待ちの港町として栄えた街並み、建造部物は重要伝統的建造物群保存地区として、平成6年に国から選定されました。大小の商家、茶屋、船宿、住宅、神社、寺院などが混在し、集落中心路、集落連絡路、集落生活路(小路)等が網の目のように巡っています。また大波止、石橋、高燈籠、石垣護岸、雁木等、港町の生活上必要な土木的建造物が当時のまま保存されています。
「御手洗(みたらい)」という地名の起こりは、神功皇后(じんぐうこうごう)が、369年に三韓侵攻の時、この地で手を洗われたという伝説があります。もう一点は、901年、菅原道真が大宰府に左遷されたとき、九州に向う途中で、この地に船を着け、天神山の麓で、口をすすぎ、み手を洗われ、お祈りをしたという伝承が残っています。現在、この麓に天満神社が祀られ、「菅公御手洗いの井戸」として、深い信仰を集めています。
[御手洗 呉市豊町観光協会]


御手洗



御手洗散策絵図

天満宮・菅公の井戸










金子邸





若胡子屋跡



街並み、玄関の花





潮待ち館




乙女座








 

モアイ像

満舟寺






大東寺



御手洗の港


平成の高とうろう

江戸時代の高とうろうと石造りの太鼓橋

住吉神社





七卿遺跡





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2016.10.3