1966ー1968 コンテッサ900
免許取得と同時に,送り迎えなどをすることを条件に両親に購入してもらった.
岩田喜久也叔父に選んでもらい,コンテッサ900の2年中古を購入.
コンテッサ900(1961年-1965年)
1961年に総排気量893cc、出力35psのエンジンを搭載する「コンテッサ900」として登場した。
4ドアセダンのみで、RR(リアエンジン・リアドライブ),後部ドアの後ろに冷却空気吸引孔が特徴
あるデザインとなっていた。
駆動方式やサスペンションなどの基本的レイアウトは従来の日野ルノーを踏襲し、エンジンも
ルノーエンジンの拡大型であった。
技術的特徴としては、シフトリンケージの工夫によりリアエンジン車ながらコラムシフト方式を実現し、
オプションで電磁式自動クラッチが装備されていた。
RRのため,前輪の荷重が少なめで,風が強いと前が振られるのが気になった.
クランクがついており,バッテリがあがった時は手でエンジンをかけることができた.
1963年にはコンテッサ900をベースにジョバンニ・ミケロッティのデザインで2ドアクーペの
コンテッサ900スプリントが発表されたが、量産化には至らず、「幻の名車」となっている。
幻の名車 コンテッサ900スプリント
コンテッサ900スプリントの情報
コンテッサ1300(1964年-1967年)
1964年9月に4ドア「コンテッサ1300」が発売された。4灯ヘッドライトと細いピラー、長いテールを
基本とするデザインは、コンテッサ900スプリント同様、ジョバンニ・ミケロッティが手がけ、
その優雅なスタイリングから、セダン・クーペとも、イタリアのコンクール・デレガンスで
複数年に渡り多数の受賞する成功作となった。
エンジンは日野の設計による排気量1251cc、出力55psの「GR100」を搭載。
ロングストロークOHVだが4気筒5ベアリング・クロスフロー弁配置の高速型エンジンであり,
最高速度は135km/hであった。
1965年には2ドアクーペが追加され,圧縮比を8.5から9.0に、出力を65psに強化、最高速度145km/h
を公称している。ミケロッティが900スプリントのモチーフも採り入れて低くデザインした.
1960年代の日本製乗用車の中でも屈指の美しいデザインと言われる。
日野自動車 乗用車開発の全貌
1968-1971 ホンダN360TS
コンテサ900は故障も起こり,当時,日の出の勢いであったホンダの軽自動車を買てもらった.
N360TS ツインキャブスポーツ 36PS ボディカラーはレモンイエロー.
N360TS で,夏休みや冬休みには勤務先寮のあった東京青梅市から故郷の愛知県半田市に帰るのに,
東名高速の東京インタ―岡崎インター間をほぼ連続で100Km/hで走行していた.若さに任せて,
頑張ってアクセルを踏みつける必要はあったものの,軽自動車として100kmの長距離走行は
実用的であったと思う.しかし,空冷のせいで長時間走ると運転席で焼けるような臭いがした.
ホンダN360の生い立ち特徴
1967年3月から市販が開始された。ホンダはそれ以前にスポーツカーS800や商用車は送り出していたが、
台数は限られたものであり、N360が初の本格的量産型乗用車である。
2ドアの2ボックススタイルは、小径タイヤを四隅に追いやり極力車室スペースを稼ぎ出そうと
した設計であり、当時の軽乗用車としては極めて広い車室を備えていた。空冷エンジンを
フロントに横置きし、前輪を駆動する。すでにFF用等速ジョイントが実用水準に達した手法で
あった。エンジンは4ストローク強制空冷エンジン直列2気筒チェーン駆動SOHCで、
オートバイ用の450ccをベースに開発された。ボア×ストロークは62.5×57.8mmのショートストローク,
オーバースクエアで、排気量は354cc、最高出力は実に31PS/8,500rpmという、
当時としては類をみない高出力・高回転エンジンであった。
この時代、軽自動車のエンジンは2ストロークが主流で、20PS台前半がせいぜいであったので、
4ストロークで31PSのパワーは、非常な高水準であり,最高速度は115km/hを公称し、
当時の軽自動車として最高レベルであった。サスペンションは、フロントが
ストラット式の独立、リアがリーフ式という、単純かつコンパクトな組み合わせである。
1968年9月,ツインキャブレターを装備して36PS/9,000rpmを発生するT,TS,TM,TGのグレード
(TはTwinの意)を追加。最高速は120km/h。
1971―1978 ホンダ クーペ7
1971年7月に購入,定価60万円,自分の金で買った最初の車である.
ホンダクーペのデザインはフロントに強い個性を持っており,黄色のボディカラーと最もマッチして,
衝撃的であった.高回転時のエンジンパワーは強力であり,以前に乗っていたN360と比べるとパワーが
3倍あり,高速道路での高速走行には余裕があった.
高出力のためか,クラッチのつなぎ時の振動など,ドライブするには技術を要するものであった.
アンダステアの基本特性は良いとしても,限界を超すと急にオーバステアに切り替わる特性は慣れない
と危険な特性であった.
東名高速も飽きがきて,トラックで混んでドライブが楽しく無くなっていたので,中央高速道路,
長野県の「峠越えコース」で愛知県に帰省することも多かった.5万キロ程度走行した.
ホンダ1300の生い立ち,特徴
http://www.honda.co.jp/news/1970/4700209.html
ホンダ1300最大の特徴としては、水冷と言えど最後は空気で冷やすなら最初から空気で冷やす方が
効率が良いという本田宗一郎の技術的信念により、既に珍しくなっていた空冷エンジンを用いた事が
挙げられる。このエンジンはオールアルミ製・直列4気筒|直4SOHC 8バルブ・クロスフローで、
シングルキャブ仕様で100PS/7,200rpm、4連キャブ仕様は115PS/7,500rpmを発揮し,
この最高出力は当時の1,300ccとしては驚異的であり、1,800 ~ 2,000cc並みであった。
さらに当時の得意とする高回転設計で、スムーズに吹け上がるエンジンでもあった。
最初で最後の採用となったDDACと呼ばれる冷却方式は、通常の空冷エンジンのシリンダーブロックや
ヘッドの中に、いわば水冷エンジンのウォータージャケットにあたる冷却風通路を備えることから
「二重強制空冷」の名を持つ。空冷エンジンを持つF1マシン、ホンダ・RA302 からのテクノロジーの
フィードバックというセールスポイントになっていた.
基本的に同じ冷却方式を持つRA302が出現してから1300が市販開始されるまでに1年程しか経過して
いないことから、1300のセールスプロモーションのために同じ冷却方式のF1マシンを急遽開発した方が
自然とも言われている。
また、騒音が大きい等の空冷の弱点の克服も目標とされ、DDAC方式の採用はそのためでもあった。
しかし、DDAC方式やドライサンプ機構のため、水冷エンジン以上に構造が複雑になり、重くなり、
コストも嵩んだ。その為、フロントまわりの重量がかなり重くなり、開発当初のサスペンションと
アブソーバーが乗り心地重視のソフトなもので、強いアンダーステアや急激なタックイン、
ジャッキアップ現象で「三輪走行」に陥るなど、危険な操縦特性を持っていた。
市販モデルでもこの悪癖は完全には改善されておらず、その後に追加されたクーペなどモデルでは
最高出力が引き下げられ、サスペンションも固められてタイヤも高速対応型になり、
こうした特性は徐々に改善されて行ったが、エンジンが大きいため居住性が悪く,、
空冷のためヒーターの熱容量が小さく、最小回転半径が大きい問題は解決されなかった。
1978年―1986三菱ギャランΣ
ホンダの次は三菱ギャランΣという比較的おとなしい車を選んだ.
前期型セダン(1976年-1978年)
同社初のOHC機構を用いた4ストロークのガソリンエンジンである。
アルミ合金ヘッドに5クランクベアリング方式の鋳鉄製シリンダーブロックを組み合わしたエンジンで、
当初はカムシャフトの駆動にタイミングチェーンが用いられていたが、
後発のG32Bに限りはタイミングベルトとサイレントシャフトが用いられた。
エンジン形式 G32B 水冷直列4気筒
排気量:1,597 cc,内径×工程:76.9 x 86 mm
燃料装置:ストロンバーグ式キャブレター×1
圧縮比:8.5:1,最大出力:92PS/6,300rpm
最大トルク:12.5kg-m/4,000rpm
1986―1995 トヨタビスタVE
車名=トヨタ・ビスタ(V10型)
製造期間= 1982年ー1986年
ボディタイプ=4ドアセダン,5ドアハッチバック|リフトバック
エンジン=2S-ELU 直4 120ps 17.6kg-m /3S-GELU 直4 160ps 19.0kg-m
/1S-LU 直4 100ps 15.5kg-m→1S-iLU 直4 105ps 16.0kgm1C-TL 直4 80ps 15.5kg-m
トランスミッション=4速AT/5速MT
サスペンション=フロント:マクファーソンストラット型,リア:ストラット型
駆動方式=FF
全長x全幅x全高=4,415mm x 1,690mm x 1,395mm
ホイールベース=2,600mm
車両重量=1,065kg
乗車定員=5人
1982年4月、カムリの姉妹車として登場。ボディーバリエーションは、当面はカムリ同様
1800cc4ドアセダン5速MTのみの設定。グレードはVC/VL/VE/VXの4機種であった。
輸出用は「カムリ」として販売。VEとVXにはパワーウインドウも付いた。
ちなみに、各グレード名のVとは、Vistaの頭文字のことである。
1982年8月、ファストバックセダンの5ドアハッチバック|リフトバックが発売された。
前年の東京モータショーに参考出品された「F120」の市販化モデルのビスタの5ドアリフトバックは、
最初で最後の設定でもあった。
室内の広いセダンに比べ5ドアはルーフが低く、ヘッドクリアランスは小さかった。
既存の1800に4速ATと電子制御式2000EFI(2S-ELU型/120馬力)も追加される。
1983年8月、1800ターボチャージャーディーゼルエンジン(1C-TL型・80馬力)追加
1984年6月、マイナーチェンジで3S-GELU型スポーツツインカムエンジンがラインナップに加えられた
1800ccのエンジン燃料供給がCi(燃料噴射装置|電子制御シングルポイントインジェクション)化された。
1985年3月、ビスタ店5周年特別仕様車「グランドエクストラ」が4ドア・5ドア双方に設定された。
1985年8月、ターボディーゼルが2000cc化された。
1995ー2001 トヨタマークU Grande
大学への異動,単身赴任による経済的な事情から登録から2.5年の中古車を買った.
選択の余地はあまりなかったが,トヨタの平均的な満足度を選んだ.
購入後,2ピースのアルミホイルを付けた.
走行性能などは不足はなく,デザインも非常に気に入っているが,
車高が低いため,居住性が犠牲になっている.
6代目 X80型(1988-1992年、セダン-1995年)
| 車名=トヨタ・マークII(6代目)
| 車名補= SX80/GX81/JZX81/MX83/LX80/YX80型
| 製造期間=1988年-1995年
| ボディタイプ=ハードトップ/セダン
| エンジン=直列6気筒3.0L 7M-GE、2.5L 1JZ-GTE/1JZ-GE、2.0L 1G-GTE/1G-GZE/1G-GE/1G-FE
直列4気筒1.8L 4S-Fi→4S-FE
直列4気筒LPG2.0L 3Y-P
直列4気筒ディーゼル2.4L 2L-T/2L
| トランスミッション=4速AT / 5速MT
| サスペンション=前:マクファーソンストラット後:ダブルウイッシュボーン/4リンク
| 駆動方式=FR
| 全長=4,690mm
| 全幅=1,695mm-1710mm
| 全高=1,375mm
| ホイールベース=2,680mm
| 車両重量=1,480kg
| 乗車定員=5人
*1988年8月、モデルチェンジ。
この代よりガソリンエンジン搭載車が全てDOHC化される(2.0グランデ以下のグレードは4気筒、6気筒に
関わらず全てハイメカツインカム化)。
ツインカム車へのスーパーチャージャー搭載(グランデG)やシャーシ性能の全面的な一新が図られる。
当時のトレンドの帯びたデザインとし、ハードトップ系は歴代で最も低い車高(1375mm)
のため室内空間が犠牲となり、室内の広さは大人4人の長時間乗車に耐えうる最低限の寸法であった。
1990年には、1月〜12月の年間販売台数で、 トヨタ・カローラを追い抜き、歴代初の第1位となる。
1989年8月には3000cc(7M-GE)搭載(3.0グランデG)が追加され、7年ぶりに3ナンバーモデルの復活となる。
5ナンバー車との違いはモールによる全幅延長(1710mm)のみ。従来からの4輪ESC(アンチロック・
ブレーキ・システム|ABS)の他にトラクションコントロールTRCも標準で装着された。
1990年8月にマイナーチェンジ、2500cc(トヨタ・JZエンジン:1JZ-GE)車(2.5グランデ/グランデG・2.5GT
ツインターボ)が追加された.
3000ccと2500ccには大型バンパーが装着され、全長も3ナンバーサイズに(ハードトップは4760mm、
セダンは4725mm)。内装は、前期ではグランデGのみの設定であったフロントセンターアームレスト及び
スライド式コンソールボックスがグランデ系全車及びGRサルーンのAT車に設定拡大。
2001ー2016 BMW525i-MSport
町田市で購入したので,多摩ナンバーであるが,多摩で走った距離は20km程度のみで,
広島に運搬車で運んで納車してもらって,乗っているが,東は名古屋までしか行ったことがない.
高速の安定性,エンジンの応答はさすがで,車全体の剛性の高さ,サスとシートの堅さなど
申し分がない.随所にドイツ車らしい細かなこだわりがあり,それが実用的であることは関心する.
日本車に比べるとハンドルが重くて運転しづらいという評価もある.
4代目5シリーズ(1996年-2003年)E39の特徴
1996年発売.エクステリア・デザインは、BMWのデザイナーである永島譲二。
先代よりボディーサイズを拡大したが、空気抵抗係数(Cd値)は0.29-0.30である。
アルミ製サスペンションを採用し軽快なハンドリングを実現し、ASC+Tトラクションコントロールを
直列6気筒モデルに装着した。
V型8気筒モデルにはASC+Tを発展させたDSCと呼ばれる横滑り防止機構を装備。
初期モデルではエアバッグがフロント左右、サイド・エアバッグの4エアバッグであったが最終的には
ITSヘッド・エアバッグを含む10エアバッグと充実装備となっている.
電子制御デバイスを積極的に導入し、自動防眩機能を内蔵したルームミラーやレインセンサー付きの
ワイパーなどがある。但し、電子部品を多用、導入した初期型のE39は、電子部品の故障が多く
中にはエンジンコンピュータやASC+Tコンピュータなどの故障も起こった.
1998年には直列6気筒モデルのトランスミッションがマニュアルモード付きのステップトロニックに
変更され,可変バルブ機構のVANOSが吸排気の両方に作動するダブルVANOSに進化した,
1999年にはM社デザインによるエアロパーツ,ホイール,内装のMスポーツが追加される。
1996年から2000年までのモデルが前期、2000年以降が後期となる。
後期の外見上の一番大きな特徴はイカリングと呼ばれるエンジェルライトを装備している。
後期型では直列6気筒(M52)エンジンを一新して、パワーアップを図りつつ排ガスもクリーンになった。
528iに代わり530iが加わった.M52エンジンから進化したM54エンジンは当時世界最高水準の性能であった。
トヨタ・マークXはこのE39型を目標に開発を進められた。
15年間、何のトラブルもなく乗り、動力性能、走行性能など何の問題もなかったが、
接触、擦り傷などで、ボディがボロボロになったので、2016年にお別れ。
2016ー2020 書くに値しない車
2020 55年間大きな事故もなく、無事にマイカーライフを終わる。
後は免許返納のみ。
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