ニュージーランドの旅 

2015年12月8日~15日,HISツアー
旅人/写真:岩田 穆, 同行:しげり,TD: 河村

[旅行の日程とページ目次]
第1日: NZ航空で成田から,オークランドへ、機内泊
第2日: クライストチャーチへ
    [クライストチャー市内観光],
   [マウントクックへ], Hermitage Hotel泊
第3日: AM:[朝のマウントクック] [フッカーバレー]
    [ピーターズルックアウト]
   PM:クイーンズタウンへ, [山頂眺望,Skyline]
    Double Tree by Hilton泊
第4日: [ミラーレイク] [ミルフォードサウンドクルーズ]
   クイーンズタウン Double Tree by Hilton泊
第5日: [アロウタウン] [オマラマ,羊毛刈り]
   テカポ湖へ[テカポ湖], [星空観賞]
   Pepper Bluewater Resort 泊
第6日: クライストチャーチからオークランドへ
    [オークランド市内], Novotel Auckland 泊
第7日: 北島観光 [ロトルア,テ・プイア]
    [ワイトモ,土ボタル], Novotel Auckland 泊
第8日: NZ航空便でオ—ランドから成田へ

[旅の地図]


 第2日 クライストチャーチ市内 

クライストチャーチ(英語: Christchurch、マオリ語: ?tautahi)は、ニュージーランド南島中部、カンタベリー平野東海岸側に位置する都市である。人口は、341,469人(2013年)[1]。ニュージーランドでは2番目、南島では最大の人口を有する。市名は1848年に設立された移民団組織カンタベリー協会を率いたアイルランド出身の政治家ジョン・ロバート・ゴドリーの出身校であるオックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジに由来する。カンタベリー平野を中心に酪農、畜産、農業が盛んに行われている。岡山県倉敷市と姉妹都市です。

ガーデンシティー家庭

クライストチャーチ市内には740を超える大小の公園があり、「庭の街・ガーデンシティ」とも呼ばれています。一般家庭でも花を育てていることが多く、今回のツアーでは Wardell夫妻宅を訪れ、バラの咲きほこる庭や、部屋などを見せせてもらい。庭の見える部屋で、お茶とケーキをごちそうになりました。











ハグレーパ—ク

ハグレー公園は市街中心部の西側に位置する、面積約1.8平方キロメートルのクライストチャーチ最大の公園です。園内を東西にリカートン通りが貫き、芝生と緑に覆われた緑豊かな公園であり、公園の6分の1を占めるボタニックガーデンにはニュージーランド原産の植物などを見ることができる市民のオアシスです。クライストチャーチ植物園、カンタベリー博物館のほか、ラグビー、サッカー、クリケットの競技場などがあります。









紙の聖堂

2011年2月22日にニュージーランドで発生したマグニチュード6.3のカンタベリー地震。日本人を含む185名の命を奪ったこの地震で、クライストチャーチの中心部にあったゴシック様式の大聖堂も崩壊。尊い命とともに、街のシンボルもなくなってしまった。そのクライストチャーチ大聖堂に代わる臨時の聖堂が2013年に完成した。サランラップの芯の様なボール紙でできた「紙の聖堂」を無償で設計したのが、世界的な建築家・坂茂(ばん しげる)氏である。この坂氏は、 紙を資材として使い建築の可能性を広げて見せただけでなく、世界中の被災地に飛び支援することでも有名な建築家。この「紙の聖堂」では、防水処理を施された長さ20m直径600ミリの不燃性の紙管が90本以上使用された。基礎にコンクリートを流し込んだ後、オリジナルの大聖堂の平面と立面のジオメトリーを受け継ぐように、紙管の角度を調節したという。耐久年数は約50年だが、紙管を雨や日光から保護する為に屋根や外壁にポリカーボネート製の板がその上に張られている。ニュージーランド産の紙管や建材を使用した事で建設時間を短縮するだけでなく、建物を訪れる人々のスピリットも持ち上げている。











 マウントクックへ 
 
マウントクック(英: Aoraki/Mount Cook)は、ニュージーランド南島南アルプス山脈に位置するニュージーランド最高峰の山。標高3,724m。正式名称は「アオラキ/マウント・クック。
「アオラキ(Aoraki)」とは、ニュージーランドの先住民族マオリ・ナイ・タフ族の言葉であり、「雲の峰」という意味である。
昔話によると、アオラキは空の神ラキヌイの息子で彼には3人の兄弟がいました。アオラキと兄弟たちが海を渡っていたところ、カヌーが礁に乗り上げ、転覆した。カヌーの上によじ上った彼らに凍りつくような南風が吹きつけ、彼らを石に変えた。そのカヌーが南島となり、アオラキとその兄弟はサザンアルプスの山々となった。その昔話から、南島はマオリ語で「テ・ワカ・オ・アオラキ(アオラキのカヌー)」と呼ばれ、マウント・クックは「アオラキ」と呼ばれている。
「クック」はニュージーランドを探索したイギリスの海軍士官ジェームズ・クックの名である。出典 http://www.newzealand.com/jp/feature/national-parks-aoraki-mount-cook/


プカキ湖の奥にマウントクックが見える




マウントクックが近づく


ハーミテージホテルの部屋から西日に照らされ光るマウントクック


第3日へ続く