旅人・写真:岩田穆(あつし)
2009年10月15日〜19日、日本旅行
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「聖なる剣」菩提寺(仏教寺院)であり,1192年にジャヤヴァルマン7世が父のために建設した。東西800m、南北700mと広いので」一部は修復の手も入っておらず、発見当初のままです。観光客は比較的少ないので、ゆっくり見学できます。
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プリア・カン平面図(地球の歩き方から)
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西参道から入場 左右にリンガーを模した彫刻
、奥には西塔門が見える)
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リンガ彫刻(仏陀をガルーダが支える形、日本の灯籠のような感じ)と西塔門
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大蛇ナーガの尾を神々が引っ張りあう欄干。 乳海を撹拌して不老不死の霊薬アムリタを取り出すという神話、仏陀の多くは過激なヒンドゥー教徒により無惨に首が切られている。
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一番後でナーガの尾を引く阿修羅
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環濠が乳海を表している
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環濠の奥
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西塔門左のガルーダ
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ガルーダはナーガを踏みつけている
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ガルーダと西塔門
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西塔門内側 破風が地上に置いてある
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西塔門の破風のレリーフ
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ラーマーヤナ物語を題材にしている
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下には佛像
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東第2塔門
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東第2塔門内 多数の佛像
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東第2塔門内壁のデバター
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中央祠堂付近
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リンガ石(中央祠堂の神体)
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中央祠堂の宝鐘
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回廊に被さるスポアンの根
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2階建の倉ですが2階の床はない、柱は一階は丸形、二階は四角
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2階建の倉の内部
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2階建の倉の内部
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テラス
中央祠堂
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北門
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北門から退場
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ニャク・ポアンの平面図
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ニャック・ポアン(絡み合う蛇)は、北バライと呼ばれる貯水池の中に作られた仏教寺院です。ジャヤヴァルマン7世によって12世紀末に創建されました。北バライはプリア・カンのための貯水池で、15世紀にシャム(アユタヤ王朝)により侵略された後は干上がってしまったが、現在では土手が修復され、再び水を溜めた姿を一部で見ることができます。
ニャック・ポアンにも池があり、かつては病を治すための施療院として使われていました。池の中央には祠堂があり、足元には「ニャック・ポアン(絡まり合うナーガ)」の由来となった2匹の大蛇が円形の祭壇を取り巻んでいるが、中央祠堂に比べると小さく、大雨が続くと池の水に隠れてしまい見えません。池から水が流れる樋は小さな祠のようで、その中にはそれぞれ、入り口がある北側から時計回りに象、人間、ライオン、馬の頭部が設置され、その口から水が流れ出て周囲の小池を満たす構造です。
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ニャク・ポアンへの水没した通路には橋がかかっていた
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小池の樋口
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象の鼻をもつ樋口
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小池と樋口
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中央祠堂と中央池小池
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神馬ブァラーハ(観世音菩薩の化身)右は2頭のナーガが見える
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中央祠堂
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タ・ソムは「ソムおじいさん」という名前を持ち、ジャヤーヴァルマン7世が父であるダーラニンドラヴァルマン2世に捧げるために建築した寺院です。12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世によって北バライの東側に建てられた仏教寺院です。
もともとは大乗仏教の僧侶たちの住居だったそうで、北バライの中央には施療院としてニャック・ポアンが、北バライの西側には仏教を学ぶ場であったプリア・カーンが、それぞれ12世紀後半~末にかけて、同じジャヤーヴァルマン7世によって建立されました。
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タ・ソムの平面図(地球の歩き方から)
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タ・ソムの出入り口は西塔門です。 塔門の頭上にはバイヨン寺院と同じ四面仏が人々を迎えます。 その顔はひび割れ風化が進んでいますが、観世音菩薩の眼差しからタ・ソムは人々を救済する大乗仏教の寺院であることがわかるでしょう。
西門から見学し散策した後には、是非とも東門の先にある東塔門を見学してください。 ここには本来は西塔門と同じ四面仏があるはずですが、リエップという名の根が細い木が巻き付き、塔門を覆いつくしています。 樹々に押しつぶされそうな姿で名高いタ・プロームとは、また少し異なる趣で必見です。
東西の門では、美しいデバターが何体もあります。 デバターとは一般的には女神と言われますが、インド神話の水の精アプサラスや、ヴィシュヌ神の妻 ラクシュミーであるとも言われており、アンコール遺跡群ではよく見られる女性のレリーフです。
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西塔門
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西塔門の四面佛頭
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西門
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西門の外側のデバター
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破風の佛像
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中央祠堂の入口
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西門のデバターと門番
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美しいデバターとイアリングを見せているデバター
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髪を絞るデバター
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西門のデバター(髪を束ねる)
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西門のデバター
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中央祠堂のデバター
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慎ましい感じのデバター達 |
中央祠堂
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東門
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東塔門(木材で補強されている)四面佛頭を持つ
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東塔門の外側
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リエップの根で覆われている (締め殺しの木)
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東塔門で木の実を拾う親子
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ラージェンドラヴァルマン王による建立で、961年頃には神々が祀られていた。プレは変化、ループは体を意味し、かつて境内で行われたと伝わる火葬を名の由来とする。
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プレ・ループの平面図(地球の歩き方から)
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外周壁はラテライトで築かれ、東西南北に塔門を備える。内周壁もラテライトで、四方に煉瓦で築かれた塔門を備え、それを抜けると、死者を荼毘に付したという石槽が見られる。その先には三層の基段が重ねられており、登ると四方に祠堂がある。それに囲まれて二層の基段が重なり、最上層に中央の祠堂がそびえる。
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プレ・ループ入口
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経堂
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中央祠堂への階段 その下には死者を荼毘にふす石槽
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死者の灰を流す設備
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中央祠堂
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中央祠堂
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ブラフマー神の妻サラスブティー
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中央祠堂からの眺め
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中央祠堂から
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中央祠堂から
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中央祠堂を見上げる
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プノン・バケン寺院は、10世紀初頭ヤショヴァルマン1世により標高65mのプノン・バケン山の上に建てられたヒンドゥー教の寺院です。王都をロリュオス川流域からシュムリアップ川流域に遷すのにあたり、第1次アンコール王朝の中心寺院として建てられました。寺院は5層になっており、小塔と祠堂が並んでいます。最上層には5つの祠堂があり、須弥山の5つの頂を示します。
夕日の名所として人気があります。
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プノンパケン
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プノンパケンからアンコールワット遠景
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プノンパケンから
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プノンパケンから夕日
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プノンパケンからトンレサップ湖
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カンボジアに古くから伝わる宮廷舞踊の一つ。きらびやかな衣装に身を包んだ女性たちが、妖艶な踊りを舞う。手の動きに特徴があり、カンボジア独特の雰囲気があるといわれる。名前のアプサラスは、インド神話における水の精で、その名の意味は「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」。天女とも称され、一説では乳海攪拌の時に生まれた存在という。乳海攪拌の神話は、①軸棒に蛇を絡ませます。「軸棒」とは、「亀の甲羅にマンダラ山を置き、その山の上にビシュヌ神が座る」というものです。②軸棒を中心に神々と阿修羅たちが蛇を引っ張り合います。阿修羅たちが「蛇の頭」を引っ張っていて、神々が「蛇の尻尾」を引っ張っています。③その蛇で綱引きをし、海を攪拌させます。④海を攪拌し、海の生き物を切り裂きます。「生き物」が切り裂かれると、海はミルク色になり、その乳海から「アプサラス」などが誕生し、最後に薬を生み出します。神々の接待役として踊りを見せることを仕事とする。姿を自由自在に変えられ、水鳥に変身することもあるが、一般には美しい女性の姿で現されることが多い。
アブサラダンス
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アブサラダンス
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アブサラダンス
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アブサラダンス
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アブサラダンス
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アブサラダンス
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アブサラダンス
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