2014年10月15日〜24日
クラブツーリズム, TD: 村上瑞看
|
[バルト三国ポーランド旅行目次]
フィンランド:[ヘルシンキ]
エストニア: [歌の原]
[タリン旧市街]
ラトビア:[リーガ旧市街]
リトアニア:[十字架の丘]
[杉原記念館]
[カウナス]
ポーランド:ワルシャワ [ワジェンキ公園]
[旧市街]
ヴィエリチカ:[岩塩坑]
オシフィエンチム:[アウシュビッツ]
[ビルケナウ]
クラクフ:[旧市街]
[ヴァヴェル城]
[中央市場広場]
[ユダヤ人居住区]
カルヴァリア-ゼブジドフスカ:[ポーランドの聖地]
ワルシャワ:[夜]
[朝]
[旅のマップ]
|
クラクフの歴史は8世紀に始まり,10世紀にポーランド王国の権力が確立し、その最大の都市として発展した。
14世紀が最盛期、コペルニクスが勉学したヤギェウォ大学が1364年に建設され、織物取引所、聖マリア教会なども建設された。西欧での迫害を逃れた多くのユダヤ人が受け入れられ、カジミェシュ地区にある多くのシナゴーグのように、ユダヤ人社会が存在し、広い土地と自治権を与えられた。
1846年にオーストリアに併合され,自治権は失われたが、第一次世界大戦を経て1918年に独立を果たした。第二次世界大戦中はナチス・ドイツにより、クラコフにゲットーが建設され,多くのユダヤ人が虐殺された。終戦直前にオスカー・シンドラーは強制収容所に連行されるユダヤ人労働者を自工場へと送り数千人の命を救った。 古都クラコフは文化,観光の中心として繁栄して,毎年7月に大規模なユダヤ文化祭り「シャローム」が開催されている。
|
城壁都市クラクフの図(1600年頃)
|
クラクフの旧市街南、ヴィスワ川のほとりに建つゴシックルネサンス様式の城で、
11〜16世紀まで国王が住んでおり、大聖堂や旧王宮、王の墓など歴史的・建造物が多く残されている。
1320年にクラクフがポーランドの首都となると、国の政治を司る王宮として、文化の中心として大いに栄えた。
|
外壁遺構
|
入口の門と塔
|
門にはチケット売り場
|
門には赤い蔦が輝いていた
|
下の川原にある龍の像
|
入り口につながる建物
|
庭から見た大聖堂、王宮の全体
|
様式の異なる多数のドームからなる
|
ダビンチ作 白テンを抱く貴婦人(複製)
|
ヴァヴェル城の外壁を見ながら城を後に旧市街に続く道へ
|
旧市庁舎と織物取引所 |
広場に面する聖マリア教会
|
Eros Bendato の彫刻
|
アダム・ミツキエヴィッチ像と織物会館 |
聖マリア教会(1時間おきにラッパを鳴らす)
|
内部祭壇とステンドグラス
|
旧市街北端部にある赤レンガ造りのゴシック様式の砦。城壁のフロリアンスカ門の防備のため15世紀末に建造。
|
ローマ時代からヨーロッパ各国に、「ゲットー」(ユダヤ人隔離地区)があった。
ポーランドにはユダヤ人自治区「シュテットル」こそあれ,「ゲットー」はなかった。 13世紀のカリシュの法令以来,民族的に寛容な政策を伝統としていたので、ユダヤ人はどこでも自由に住めた。 しかし、第二次大戦でドイツに占領されて事態は急変する。
|
ユダヤ人65000人虐殺の記念碑
|
残されたゲット-の壁
|
旧シナゴーグ 現在は店
|
スタラ シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)、博物館として公開
|
シナゴーグ内部
|
シナゴーグの祭壇 ユダヤ式の質素なつくり
|
教典を指す道具 指で差してはいけない
|
ポーランドのキリスト教の聖地 町の歴史は、17世紀初頭に地元の有力者ミコワイ・ゼブジドフスキが、この地をキリスト受難の丘であるゴルゴタ(ラテン語名はカルヴァリア Calvaria)に見立てて宗教的建造物群を建てたところから始まる。一連の建造物群のある敷地は「カルヴァリア・ゼブジドフスカ公園」として知られており、マニエリスム建築と自然の景観が融合した文化的景観として、1999年に世界遺産に登録された。
|
修道院の礼拝堂 マニエリスム様式と呼ばれる多彩な装飾が特徴
|
修道院の祭壇
|
祭壇中央の聖母画が美しい
|
動画(MPEG4) 修道院礼拝堂のミサ
ライトアップされた文化科学宮殿
|
商店街とトラム
|
ポーランドの女流ピアニスト 若手の教育も行っている
|
[最初に戻る]