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第2日: [コリントス運河] [ミケーネ遺跡] [オリンピア遺跡] 第3日: [リオ-アンディリオ橋] [デルフィ遺跡] [オシオス・ルカス修道院] [メテオラ奇岩] 第4日: [メテオラの朝] [メテオラ修道院] [夜のパルテノン神殿] 第5日: クルーズ船で [ミコノス島] 第6日: [エフェソス遺跡] [パトモス島] 第7日: ロードス島 [リンドス] [旧市街] 第8日: クレタ島 [クノッソス宮殿遺跡] サントリーニ島[イア,フィラ] 第9日: [パルテノン神殿] [考古学博物館] 第10日: アテネ空港発,成田空港 |
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幅が狭いため、船の大きさが制限され、現在は主に観光船が通る。 歴史:古代ギリシャ時代(前7世紀)から運河建設の夢があったが、着工の記録はなく、 ローマ時代(67年)には皇帝ネロは3.3kmまで掘らせたが反乱のため中断した。 時は流れて、スエズ運河完成の影響を受けて、1882年工事が本格的に開始され、 出資元のフランス企業の倒産を曲折を経て、ギリシア企業に引き継がれて、1893年に完成した。 |
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前13世紀末のトロイア戦争の後、ミケーネは衰退し始め、 王宮は火災で焼失するなど、前12世紀末頃には重要な都市機能を失った。 その後、幾何学文様時代、アルカイック期、古典期を通じて、 ミケーネは存在し続けるが、前468年に都市国家アルゴスとの戦いに敗れ、 城砦は再び破壊された。ヘレニズム時代にはアルゴスはミケーネを再建し、 その後ローマ時代まで存続した。 |
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オリンピア遺跡は1875年にフランスの考古学者らにより発見された。 遺跡の入口を入ると通路の西側に、ギムナシオン(体育練習場)・パレストラ(闘技場)・フィディアス(彫刻家)の仕事場)などの礎石などが並ぶ。 奥のレオニデオン(宿泊所、オリンピア遺跡最大の建物)、南の浴場、プレウテリオン(評議会場)などの柱や礎石が残されている。 遺跡の中心にはゼウスの神殿があり、アテネのパルテノンの神殿に匹敵する壮大な神殿であったが、地震によって倒壊したままに、 柱などが残されている。その北側にオリンピックの聖火の採火の儀式が行われるヘラ神殿がある。 |
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