旅人・写真:岩田穆(あつし)
2012年1月20日〜26日、(株)日新旅行
知遊会ツアー,TD:増岡達一
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クトゥブ・ミナールは、1200年頃にトルコ系マムルーク王朝のクトゥブッディーン・アイバク帝により建設された.この土地を征服したイスラムの勝利を示す塔として,戦勝の塔 とも言われる.
他にも多くの遺跡があり,中でも1311年建設のアライ・ダルワザ はインドのイスラム建築の至宝の一つ.
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アライ・ダルワザ モスクの玄関
アライ・ダルワザ とクトゥブ・ミナール
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1200年頃にアイバク帝が戦争勝利の記念碑として3層まで建設したイスラム建築様式の巨大な尖塔.14世紀にはフィルーズ・シャー帝が塔の白い部分の4層と5層を増築した.
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クトゥブ・ミナールは赤砂岩でできており,5層からなり高さ72.5m,底部の直径14.32m,頂上の直径2.75mの大きさである.内部に379段の螺旋階段があり,1970年代前半までは頂上まで登ることができたが,墜落事故防止のため2階までに制限され,1980年代には全面立入禁止となった.
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1層,2層
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3.4,5層
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4層,5層
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塔に刻まれた文字と文様
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イレトゥミシュ廟 (1236年建). 刻まれたイスラム文様が美しい)
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同じ敷地には「イスラムの実力 Might of Islam 」と名づけられ,インドの最初のモスクがある.
アイバク帝は周辺のヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を廃止・解体し,それらの石材をモスクの建材に流用.イスラム教では偶像崇拝は禁止され,建築に神や動物の像はなく,図案化した草花や幾何学模様のみ.しかし、このモスクではヒンドゥー寺院の石建材をそのまま使用したために,女神像などが柱に残されている.
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モスク庭にある「錆びない鉄柱」 碑文によると西暦415年に制作.
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崩れたモスクの門
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モスクの門
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中央にあるモスク
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中央にあるモスクの墓
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中央にあるモスクの墓
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モスクの柱(ヒンドゥー教寺院の再利用)
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不揃いのモスクの柱
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菩薩像が残る柱もある
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モスクの天井
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モスク
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ヒルジー王朝の二代目アラウディン帝(在位1296−1316)によって,
クトゥブ・ミナールの2倍の高さの塔の建設が着手されたが,地上24.5mの時点でアラウディン帝が亡くなり,このアライ・ミナール計画は頓挫した.
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フマユーン廟はムガール帝国2代皇帝フマユーンの墓で,ペルシャ出身の妃ハージ・ベグムが夫を偲んで
デリーの南部郊外,市の中心部から3kmほどのヤムナ河の畔に建設したもの.完成は皇帝が没後9年目の1565年.
フマユーン帝はイスラム教徒だったが,壁面装飾にはユダヤ教やキリスト教などの多くの様式が施されている.イスラムのペルシャ文化とインド伝統の様式が融合されたこの霊廟から,ムガル建築という華麗な様式が生まれ,タージ・マハルに継承されて,その美は絶頂を極めた.廟の門などを飾る象嵌細工にはダビデの星*が見える.
*ダビデ王に由来するユダヤ民族を象徴する印で2つの三角形を組合わせたヘキサグラム.
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フマユーン廟の入口
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入口の門から
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西門とフマユーン廟のドーム
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西門 ダビデの星:ヘキサグラム(hexagram)が見える.
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西門のゲートからフマユーン廟
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フマユーン廟前で記念撮影
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廟の前の水路
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赤砂岩と大理石のコントラストがきれい イーワーンは2層構造.
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フマユーン廟全景との前の池
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90m四方の墓壇上に中央墓室と4つの墓室が点対象に配置される
典型的な
ペルシャ様式でタージマハルに継承された
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大理石のドームとチャトリ
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廟の中心部のフマユーンの墓
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夕日の差し込む格子窓
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美しい格子
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北西から 対称性が分かる 手前には墓が
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東南から
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フマユーン廟の夕日
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南東の四分庭園
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北東の四分庭園
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北側の門
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四分庭園の池
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南門の内側 ダビデの星がある
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イーワーンとチャトリで飾られ,ダビデの星も見える.
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南門から入口の門への帰路
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タイのスワンナプーム空港に乳海撹拌の天地創造の像があった。神話通りに再現されている。
乳海撹拌はアンコールワット遺跡などヒンズー教の寺院でよくある。
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