ギリシャの遺跡と神話の旅
旅人・写真:岩田あつし   アクセスカウンター

2015年5月14~24日,クラツー,TD:安田美奈子


 ギリシャ遺跡と神話の旅の日程 


 第1日: イスタンブール乗り換えアテネ空港
 第2日: [コリントス運河]
     [ミケーネ遺跡] [オリンピア遺跡]

 第3日: [リオ-アンディリオ橋] [デルフィ遺跡]
     [オシオス・ルカス修道院]
[メテオラ奇岩]
 第4日: [メテオラの朝] [メテオラ修道院]
     [夜のパルテノン神殿]

 第5日: クルーズ船で [ミコノス島]
 第6日: [エフェソス遺跡] [パトモス島]
 第7日: ロードス島 [リンドス] [旧市街]
 第8日: クレタ島 [クノッソス宮殿遺跡]
    サントリーニ島[イア,フィラ]
 第9日: [パルテノン神殿] [考古学博物館]
 第10日: アテネ空港発,成田空港

 ギリシャの地図と旅のコース



  第8日 クレタ島 クノッソス遺跡
    サントリーニ島 イア, フィラ


 クノッソス宮殿遺跡 


 クノッソス宮殿は伝説や神話の世界のものとされていたが、 1900年に英国人考古学者アーサー・エバンズによって宮殿跡が発掘され、単なる伝説ではないことが分かった。 クレタ島を中心とするミノア文明はBC3000年頃~1400年頃に栄えたと考えられ、古代ギリシャ文明より古く、 今日のヨーロッパ文明の母となった。建築、壁画、文学、交易、農業など、当時世界最高の文明であったとされる。  ミノア文明と言う名称は、クノッソス遺跡を発掘発見したエバンズがギリシャ神話のクレタ島のミノス王に因んで名付けたということである。 この文明はBC1400年頃に突然姿を消したが、 その原因として、ギリシャから南下してきたミケーネ人に滅ぼされたという説と、地中海の火山の爆発で壊滅したという説がある。
 この宮殿は最初BC2000年頃にミノス王が作ったとされ、 部屋数が1200以上もある大規模の宮殿であり、3~4階建てで多数の部屋や秘密の廊下、 曲がりくねった廊下と階段、更に複雑な地下室など、入り込んだら出てこれない複雑な構造であったといわれる。
 神話ではゼウス神と人間の王女エウロペの間に生まれたミノス王が、 自分との約束を破ったことを怒ったポセイドンが、王の妻パシパエに対して牡牛に 恋するという呪いをかけました。こうして、パシパエと牡牛の間に頭は牡牛、 体は人間という半獣半人の凶暴な怪物ミノタウロスが生まれた。 この怪物の処置に困ったミノス王が真っ暗で脱出できない地下迷路を持つ迷宮を作り、 そこにミノタウロスを閉じ込めたとされる。

鳥瞰図

http://www.greeceancientmodern.com/knossos.html










王座の間
身を清めるための聖水を入れた水盤が玉座の前に置かれている. 壁には空想上の動物グリフィンが描かれている。








王妃の間



いるかのフレスコ画

自由に泳ぎ回るイルカ達が鮮明に描かれいる。




大きな壺

北玄関 

立派な角の赤い牛が描かれている


過度な色彩で復元したために、原型を保護できていないとして、世界遺産 の登録から外された。


劇場 坂道のような場所に600人収容した

 サントリーニ島 


 サントリーニ島はティーラ島とも呼ばれ、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の島。 かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形(サントリーニ・カルデラ)の一部で、 その外輪山にあたる。カルデラ全体の5島をサントリーニ諸島と呼ぶ。 カルデラ湾を望む断崖の上に白壁の家々が密集する景観でも知られており、エーゲ海の著名な観光地の一つである。 一方で、中央の火山島には現在も活発な火山活動がある。
 これらの群島が、かつては一つの島で。紀元前1628年頃、 海底火山の爆発的噴火(ミノア噴火)により、マグマが噴き出してできたカルデラが、 現在のように海に沈み。現在の諸島になった。  幻の大陸アトランティスはヨーロッパ最古の文明といわれる ミノア文明が栄えていたクレタ島とされるが、1956年、 ギリシャの地震学者アンデロス・ガラノパウロスが、 サントリーニ島こそアトランティスであるとの新説を唱えた。

動画:サントリーニ島に上陸  火山島側の港が崖にある

イアの教会


















フィラの町


ケーブルカーから



絶壁の断層 異なった色の火山岩、体積岩が折り重なって複雑な模様



フィラの港
  夕闇が迫るなか、ケーブルカーで海岸に降り、テンダボートで船に帰る



第9日に続く