中米4ヵ国マヤ遺跡の旅
旅人・写真:岩田穆(あつし)
2015年2月6日~16日, クラツーツアー,TD:名倉亜野
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赤:2014年メキシコの旅, 青:2015年グアテマラ中心4か国
キリグアに人が住み始めたのは紀元200年ごろだと考えられているが、本格的に王朝が築かれたのは5世紀からである。
426年にコパンの王「最初の太陽」の後見で属国ではあったが,トク・キャスパー王が即位した。
6~7世紀の初めにはキリグアはハリケーンか火山の噴火よる洪水で,古典期前期の遺構は分厚いシルト層に覆われた。
724年12月29日にカック・ティリウ「嵐の空」がコパン王「18ウサギ」の後見で,属国ながらキリグア王に即位した。
この王はコパンへの従属から反転し,14年後の738年の戦争で勝ち「18ウサギ」を捕らえて斬首し,英雄となった。
「嵐の空」は745年(9.15.15.0.0.)の石碑Sから,カトゥン毎に石碑を建立し, 国を大きく反映させた。
751年(9.16.0.0.0.)には石碑Hが建てられた。756年(9.16.5.0.0.)には石碑Jが,761年(9.16.10.0.0.)には石碑Fが,
766年(9.16.15.0.0.)には石碑Dと獣形神Bが,771年(9.17.0.0.0.)には石碑Eが,そして,775年には石碑AとCが建てられた。
785年に「空シェル」が即位し,790年に獣形神O,795年には獣形神Pを作らせ,「嵐の空」の時代を讃え,再来を目指した。
800年頃に「ヒスイ空」が即位し,小さな石碑Kを作ったが国の衰えは止まらず, 810年にはキリグアは放棄された。
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遺跡の配置図
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石碑(Stelae)の説明
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遺跡入口
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石碑A 石碑Aは775年にカック・ティリュウにより奉納された。
広場にある9本の石碑の内7本は偉大な王カック・ティリュウにより建立された。
カック・ティリュウは 俗称「嵐の空」は 724年の即位から738年のコパンとの戦いの勝利で英雄と言われ, 785年までの60年間キリグア王として君臨した。
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カック・ティリュウ像
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顔が浮き出るところまで彫刻。
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右側面の王の偉業を記するマヤ文字
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王の偉業を記する左側面のマヤ文字
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左側面下部を右に拡大
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右2段目から「18うさぎ」を斬首とある
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獣形祭壇B 780年に作られたカック・ティリュウの最後の建造物. 長さが3.7m,高さ1.8mの巨大な石彫りです。 南を向いた正面からは王が顔を出し、当時は全体が真っ赤に塗られていたようで, 色が少し残っている。
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ワニの口から嵐の空王が出てくる
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嵐の空王の顔 標識に年代が示されている。
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獣形祭壇 石碑B
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石碑B, 石碑A
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石碑C 775年にカック・ティリュウにより石碑Aと一対で奉納された。マヤ創生となる13バクトゥンが記されていて、2012年12月21日の人類終末論の元になり脚光を浴びた。マヤ長期暦は1周期の13バクトゥン(=5000年)で、紀元前3114年8月11日から始まるとされている。2012年12月21日に最初の長期暦が終り次の周期が始まったわけです。
下中央の写真の右の一番上の正方形のマヤ文字に, 棒2本と点3つで13バクトゥン、その次の4文字では棒と点のない0が書かれ,マヤ創生の時期が示されている。
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カック・ティリュウの顔
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右上にマヤ長期暦の記述 13バクトゥン(13.0..0.0.)
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単位:1バクトゥン=20カトゥン,1カトゥン=20トゥン,1トゥン=18ウイナル,1ウイナル=20キン=20日
顔の彫り結構深い
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裏は風化している
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石碑C 背後は石碑B, 石碑A
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石碑D カック・ティリュウ(嵐の空)のもの 766年に奉納された約 6m の石碑で、南を向いた顔と体が大分磨耗している以外は素晴らしい状態で残されている。
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石碑D 広場の先に石碑F,G,Eの小屋が見える
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左が石碑F、中央の低い屋根が獣形神Gで、石碑E。
石碑F 「空に向かう両手」と呼ばれるステラ.
石碑Eの10年前の 761年に建てられ、南北両面にカック・ティリュウが彫られ、石碑自体北東側に傾いています。
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石碑E 771年(9.17.0.0.0.) に建てられ、カック・ティリュウが南北両面に彫られており、高さ7.6m、地下も合わせとると11.7mと最も高い、立派な石碑。
カトゥンの区切りを記念して気張って巨大にしたのだろう。
775年に作られた石碑A,Cと共にカック・ティリュウ時代の最後になり石碑様式の完成型と言える。
キリグアの石碑は顔の彫りが深いが体は平面的であり,コパンの高浮き彫りと比較すると技術的に負けている。コパンの18ウサギ王とカック・ティリュウの戦いはここにもあったようです。
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南側から見る 後ろには石碑C, Dが見える
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顔がエジプトのラムセスII世に似てます。
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7.6mの高さが分かる。
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石碑Eと石碑F 葦葺きの屋根も美しい
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獣形神G カック・ティリュウの顔が彫られ, 石碑EとFを南から見守るような位置に据えられている。カック・ティリュウの死後を継いだシュル・シエロ「空シュル」(785-800年頃)が785年に先王に捧げて建立したもので、マヤの宇宙観で大地を表すとされる亀の形で、先王の魂が亀に宿ったことを示したという説とか、蛙とジャガーを一体化した獣に宿ったという説がある。
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亀の甲羅ような体の側面にはマヤ文字が彫られている。
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獣形神Gから奥を見る、巨大なセイバの木が見える
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二股の巨大なセイバの木
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セイバの木の先に石碑AからGがある
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石碑H 751年奉納された高さ5.2mの石碑。西を向いた石碑の正面には髭のないカック・ティリュウが彫られている。石碑の背面には神聖文字が斜めに彫られているが風化が激しく解読が難しいようです。石碑は正面から両側面に回り込む形で同じモティーフが彫られていて,ラップ・アラウンド形式と言われます。
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マヤ文字が斜めに彫られている
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石碑I 5年毎の石像記念物は 780年の獣形神B以降それまでの石碑から獣形神となり、785年の前述の獣形神Gから、790年に獣形神O、795年に獣形神P(全てシュル・シエロの時)と続きます。しかしシュル・シエロを継いだハーデ・シエロ(翡翠の空)(在位 800-810年頃)の時代になって,また石碑に戻り,800年に石碑Iができた。
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左から石碑B, A, E(高い), C, G ,D, F(東の傾く)
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手前は石碑I
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石碑J カク・ティリュウの石碑
738年にコパンの18うさぎ王を捕虜にし生贄として斬首した
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裏面に756年に石碑奉納、14代コパン王に即位した
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石碑K 805年にハーデ-シエロ(ヒスイ空)により
奉納された
最後の石碑, 小さいのは財力の衰えか。
獣形祭壇M 731年 ジャガーが彫られている
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獣形祭壇N 亀の甲羅を背負った人間
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獣形神O 795年にシュル・シエロによる奉納
祭壇には、大地の上に浮かぶ雲の渦巻きにつつまれた雷神が刻まれている
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獣形神P 795年にシュル・シエロによる奉納 祭壇には炎の斧によって切り裂かれた大地の裂け目から「口からヘビを発する神」が顔をのぞかせている
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祭壇P 雨の神チャークがV字型に割れた地面から姿を現している
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獣形神P 北面の王の像
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アクロポリスに登り石碑のある広場を見おろす
アクロポリス
アクロポリスの広場