中米4ヵ国マヤ遺跡の旅 
旅人・写真:岩田穆(あつし)
2015年2月6日~16日,
クラツーツアー,TD:名倉亜野
  
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 旅行の日程とページ目次 
(第2日) グアテマラ
  [アグアスカリエンテス村] [アンティグア]
(第3日) エル・サルバドル [タスマル遺跡]
  [ホヤ・デ・セレン遺跡] [サン・サルバドル市]
(第4日) ホンジュラス[コパン遺跡]
(第5日) グアティマラ[キリグア遺跡]
(第6日) [ティカル遺跡]
(第7日) ベリーズ [カハルペッチ遺跡]
(第8日) [ブルーホール] [動物園]
(第9日) [ベリーズシティ]


 旅の地図とコース 



 マヤ遺跡探訪コース 
赤:2014年メキシコの旅, 青:2015年グアテマラ中心4か国



  第6日 グァテマラ 


 ティカル遺跡 
     
◇ グアテマラ北部のペテン地方の深い森林にあるティカル遺跡は勾配の急な階段を持つ神殿群が多数建てられ, 8世紀の全盛期には人口6万人程度が暮らしたとされる古典期マヤ文明を代表する都市である。
◇ 紀元前4世紀から人が住み始め, 紀元1世紀頃から王朝の歴史が始まり, 約800年間に33人の王が即位した。ティカルの歴史の碑文に記された「378年の事件」は, テオティワカンから来た「シヤフ・カック」によって、支配されたとする説と, テオティワカンとの様々な政治的・文化的交流があったとする説とがある。この後もティカルは繁栄を続けるが, 6世紀半ばに王朝史が途絶えたのは, ベリーズのカラコルに破れたという説と, メキシコの大都市カラクムルの支配下に入ったためとする説がある。
◇ 7世紀半ばには再び復興し, 8世紀には全盛期に達し,ハサウ・チャン・カウィール王 (682-734) などにより, 大規模なピラミッドや宮殿などの建造物が建てられ, また宿敵カラクムルに勝利し,それを滅亡させた。しかし, 9世紀に入ると再び衰退し, ついに889年に放棄された。その原因は都市が巨大化しすぎて, 周囲の環境破壊も進み, 多くの人の生活を維持できなくなったためと考えられている。


ティカル遺跡案内図


遺跡の地図と観光ルート (縮尺は全く合っていない、建物の距離は離れている)
正しい縮尺で見たい場合は  [航空写真による案内図]


ティカル遺跡中心部の模型 (縮尺は全く合っていない、建物の距離は離れている)
いよいよ遺跡に入ります。



大セイバの木 マヤ人が大事にする聖なる木、グアテマラの国の木

遺跡の入り口の案内センター付近にある巨木


赤い羽根のようなのは寄生植物?

コンプレッホQ 双対のピラミッドと石碑が並ぶ












コンプレッホR(双対のピラミッドが並ぶが、まだ発掘されていない)




第IVの神殿
 イキン・チャン・カウィール王の時代に建設された高さ70mの最大のピラミッド神殿




神殿は木に隠れている 修復中であるが遅遅としている


木製の階段で作られており登りやすい




第IV神殿からの絶景
、左から、急峻な第I神殿, ずっしりした第II神殿, 工事中の第III神殿, 右端に頭だけ見える第V神殿


第I神殿, 第II神殿の上部


第III神殿の上部 工事中


第IV神殿から見た遺跡の模型


第IV神殿の最上部 風化が進み往時の様子は残っていない



コンプレッホN




蝙蝠の宮殿




失われた世界<
調査が一番後になったことが名前の由来。ティカルとテオティワカンとの関係を示す事実として、テオティワカン独特のタロー・タブレロ様式のピラミッドがあり、「投槍器フクロウ」という王に捧げられたマルカドール(テオティワカン特有の球技場のゴール・マーカーを模した記念碑)が発見されたなどがある。


北西のピラミッド テオティワカンのタロー・タブレロ様式で建てられている。


タロー・タブレロ様式の石組み


裏側は土に埋もれている


中央の大ピラミッド 階段の両側に仮面を飾っていた。


独特の形のピラミッド


影には赤い彩色が残っている


第IIIの神殿を見上げながら進む


球技場の斜面の間を進む

七つの神殿の広場
遺跡で最も重要な場所とされる。



七つの神殿 中央が大きく左右に3つづつ小さい神殿がならぶ








球技場



広場を取り囲む神殿群




第Vの神殿
高さは58m近くあり、第IVの神殿に次ぐ高さを持つ8世紀前半の建造物です。13年前にきれいに修復されたが、北向きの勢かすでにコケなどで黒くなり貫禄のある姿になっている。 







第Iの神殿(ジャガー神殿)
695年にカラクムルを打ち負かした ハサウ・チャン・カウィール王 (682-734AD) により 700AD 頃に造られた高さ52mのピラミッド。九層の急勾配の基壇上に神殿が築かれ、高く大きな屋根飾りで 上部が装飾されたティカルの代表的な建造物。屋根飾りの装飾は風化が激しいが、当時はクリーム色、赤、緑、青に塗られ、ピラミッド全体は赤く仕上られていたようです。


第IIの神殿の上から見た第Iの神殿(ジャガー神殿)とグランプラザ、左は北アクロポリス


ティカル遺跡中心部の再現図 建造物の多くは赤く塗られていた(写真ガイブック「マヤ人」から)




第II神殿から、左に第III神殿、右のセイバの先に第IV神殿が見える


グランプラザから見た第Iの神殿 急にそびえるピラミッドと階段が特徴 奥は中央アクロポリス 




ジャガー神殿頭部 神殿の中にジャガー神がまつられ極彩色の跡かたもなく、一部崩れている。

第IIの神殿
ハサウ・チャン・カウィール王 (682-734AD) の時代に造られた高さ38mのピラミッド。基壇は三層でずっしりとしており、第Iの神殿とは対照的に女性的であり、王妃のために建設されたとされる。上部の神殿は大きくレリーフが多く、屋根飾りも大きく、彩色も第I神殿と同様に綺麗であった。後ろに作られた木の階段で楽に登れる。 


基壇は太く上部に大きな白い神殿がある。


儀式の時には王族が登り、生贄の首が階段に落されるのを見たかもしれない


白い神殿には大きい顔がある。


幅は広いが険しい階段

北アクロポリス

第II神殿の上から見ると大規模な宮殿であるが多くが壊れている


グランプラザから見る


北アクロポリスの主神殿


石碑 かなり風化している


宮殿 壁に神のレリーフがある


王のレリーフ


 


地下に漆喰で作られた大きな神の顔がある


北アクロポリスからの再現写真(写真集マヤ人から)

中央アクロポリス

中央アクロポリスから見た第Iの神殿


中央アクロポリスから見た北アクロポリス


中央アクロポリスから見たグランプラザ


上の写真と同じ場所の再現図(写真集マヤ人から)見事な第II神殿と北アクロポリス


マヤアーチの通路


マヤ人の書いた顔


部屋の天井は梁のあるアーチ


アーチが見える、背後は第I神殿

中央アクロポリス 東側の宮殿群







赤いベンガラが残る


第Iの神殿の裏側



第IVの神殿 碑銘の神殿と呼ばれマヤ文字が刻まれている








    第7日に続く