イスラエル・ヨルダンの旅  
 旅人・写真:岩田あつし   アクセスカウンター
2020年1月21日~1月28日,クラツー,TD: 垣浦
 


 イスラエル・ヨルダンの旅の日程 
[第1日] 成田からモスクワ経由テルアビブへ
[第2日] イスラエル ナザレ、ガリラヤ湖観光
 [受胎告知教会] [聖ヨセフ教会]
 [タブハ教会] [ペテロ召命教会]
[第3日] ヨルダン観光
 [死海] [ネボ山] [聖ジョージ教会]
 [ウム・アル=ラサス遺跡] [夜のペトラ]
[第4日] ペトラ観光
 [エルハズネ] [ペトラの街]
[第5日] ベツレヘム観光
 [海抜零点] [生誕教会]
[第6日] エルサレム観光
 [オリーブ山] [神殿の丘]
 [ビアドロローサ] [シオンの丘]
[第7日] アブダビからモスクワ経由
[第8日] 成田着

イスラエル・ヨルダン観光地図 


 第3日: ヨルダン(死海とマタバ) 


 
死海 ヨルダン Dead Sea SPA

湖面の海抜は、現在マイナス423mと、地表で最も低い場所にある。 死海は流れ出る川がないので、水は蒸発するが、塩分は濃縮さてて30%と極めて高く、 1リットルあたりの塩分量は230gから270gで、湖底では428gである。 ヨルダン川近郊に湧き出ている「温泉水」から塩分が供給されていると考えられている。
色々な成分が残る水と言える。 死海地域は、健康に関する研究や治療の場となっている。 この非常に深い湖では水に含まれるミネラル分が多く、 大気中の花粉やアレルゲンの含有量が極端に低い。 また、太陽光線からの紫外線も少ない為、様々な健康効果があるという。 その為毎年何百万もの人々が、病気療養や保養を目的に世界中から死海地域を 訪れるという。 しかし、生物の生息には不向きな環境であるため、 湧水の発生する1か所を除き、魚類など生息は確認されていない。 死海という名称の由来はここにある。 死海の深部の浸出域では、断続的に黒い物質でできた小さな砂利やブロックが 吐き出される。 遺跡からもアスファルトに覆われた小型の像や新石器時代の頭蓋骨が発掘されている。 エジプト人のミイラ作りの工程では死海地域から輸入したアスファルトを使ったそうだ。


ホテル デッドシー・スパ


ホテルのプールから死海を望む 対岸はイスラエル




海岸にある日よけ


死海に下りる道 <


静かな水面ではなく波があり、塩水が目に入ったら大変と、のんびり浮遊することはできなかった。
イスラエル側の方が良いという話もある。


ホテルのロビー


死海(一番北の端)


ネボ山に向かう途中から観た死海

ネボ山 モーゼ終焉の地

ヨルダンには、モーセが神から授かった「約束の地」を見下ろしながら 息を引き取ったという、「ネボ山」があります。 モーセとは、ファラオに虐げられたイスラエルの人々を率いて「出エジプト」を果たし、 彼らを約束の地カナンへと導いた預言者。実はモーセ自身は、 その昔神に背いた罪のせいで、カナンの地へ足を踏み入れることができません…!  あこがれ続けた土地を最期に一目見て、息を引き取ったというわけです。 十字架にかけられたイエス・キリストを表すとも、 モーセの「ブロンズの蛇」を表すとも言われるモニュメントがあります。 「ブロンズの蛇」とは、モーゼが神の命により作って掲げていたもので、 人々はそれを見ると、毒蛇にかまれても死ななかったというエピソードが 聖書にあります。いまやネボ山のシンボルのようになっていますが、 近代にイタリアの彫刻家が作ったものです。


施設の入口


頂上にある新しい教会


山頂から観たヨルダン川流域



十字架にかけられたイエス・キリストを表すとも、 モーセの「ブロンズの蛇」を表すとも言われるモニュメントがあります。 「ブロンズの蛇」とは、モーゼが神の命により作って掲げていたもので、 人々はそれを見ると、毒蛇にかまれても死ななかったというエピソードが 聖書にあります。いまやネボ山のシンボルのようになっていますが、 近代にイタリアの彫刻家が作ったものです。






頂上にある新しい教会

 4世紀後半にモーセの死の場所をしのんで典型的なバシリカ様式によって建てられた。教会は5世紀後半に拡張され、597年に建て直された。この教会について394年に一人の女性、エゲリア (Aetheria) の巡礼記に初めて記載された。
モザイクで覆われた教会の床下からは、天然の岩をくり抜いた6基の墓が発見されている。 現在も、年代の異なるモザイクの床の断片を残しているので、その場所を保護して、礼拝の空間を備えるよう建設されている。


教会のモザイク
ネポ山頂には、4世紀ごろから教会が 作られました。ビザンチン時代のモザイクが多数残っています。


ビザンチン時代のモザイク(修復)


ビザンチン時代のモザイク (修復)
狩りをする人、動物、木々、花など描かれている <


ビザンチン時代のモザイク(修復)


屋外にあるビザンチン時代のモザイク (オリジナル)


屋外にあるビザンチン時代のモザイク (オリジナル)



   マダバ 聖ジョージ教会    
 

マダバにあるギリシャ正教の教会であり、 床のモザイクによるパレスチナの地図で有名である。


教会の建物


床のモザイクによるパレスチナの地図

画面上部に死海があります。死海には舟が浮かんでいるようです。その左にはヨルダン川がくっきりと画かれています。魚が死海とは反対の方に向いています。塩分が濃くて、魚は住めないので、死海から逃げて行っている様子がユーモラスです。ヨルダン川の下方にナツメヤシが2本画かれていますが、ここがエリコです。
 画面ほぼ中央の楕円形の部分がエルサレムです。2本のほぼ真っ直ぐな道が延びています。道の両側には列柱が画かれています。6世紀当時のエルサレムはローマ風の街になっていたことがわかります。これは、135年にローマ皇帝ハドリアヌスがエルサレムをローマ風の街に作り替えていたからです。


エルサレムとベツレヘム


死海、ヨルダン川


死海、ヨルダン川


エジプト ナイルデルタ シナイ山


エジプト ナイルデルタ シナイ山

  ウム・アル=ラサス遺跡  
 

ヨルダン西部にある遺跡です。マダバの南東約30kmに位置します。 ローマ帝国の占領時からイスラム教の王朝が支配した3世紀末から9世紀に都市を 形成していた。最初は、ローマ軍の軍事基地であったといわれている。 ローマ時代のキリスト教会跡がいくつか残る。 1番の見所は、785年に建てられた聖ステファン教会の床に、 大きなモザイクが残っており、狩猟をしている様子、マダバ、エルサレム、 ガザなどの町が描かれています。ヨルダン1の大きさである。 遺跡の大半がまだ完全に発掘されてないが、2004年には世界文化遺産に登録されました。


遺跡の施設入り口


世界文化遺産の標識と説明


聖ステファン教会のモザイク


聖ステファン教会の祭壇


聖ステファン教会のモザイク


聖ステファン教会のモザイク


聖ステファン教会の遺構


聖ポール教会


聖ポール教会。 後の屋根の下に聖ステファン教会の遺構が保護されている。

   夜のペトラ   
 
ペトラは


夕焼けのペトラの街


ペトラバイナイト (エルハズネのライトアップと ローソク)






観客

[第4日に続く]