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[第2日] イスラエル ナザレ、ガリラヤ湖観光 [受胎告知教会] [聖ヨセフ教会] [タブハ教会] [ペテロ召命教会] [第3日] ヨルダン観光 [死海] [ネボ山] [聖ジョージ教会] [ウム・アル=ラサス遺跡] [夜のペトラ] [第4日] ペトラ観光 [エルハズネ] [ペトラの街] [第5日] ベツレヘム観光 [海抜零点] [生誕教会] [第6日] エルサレム観光 [オリーブ山] [神殿の丘] [ビアドロローサ] [シオンの丘] [第7日] アブダビからモスクワ経由 [第8日] 成田着 |
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ペトラは険しい岩山の続く自然の要害であり、外部からの侵入が難しい地の利を持っていた。 また、中東での人や物の行き交う要衝の地でもあった。紀元前1世紀ごろから、先住のエドム人を南へ追いやったナバテア人が居住しはじめた、ナバテア王国の首都として、スパイス交易(香料・絹・乳香)の拠点として栄えた。紀元前64年ごろ、ナバテア人はローマの将軍ポンペイウスによりその支配下におかれる。しかし、ナバテアの自治は税金を払うことで獲得した。106年には、ローマ皇帝トラヤヌスによりペトラとナバテア人はローマのアラビア属州として完全に組込まれる。その遺跡として巨大な砂岩の山を掘って建設した種々の建物が残されている。エジプトなどの影響を受けた古い神殿や墓など、ローマ式の劇場や神殿であり、大きな都市であったことが分かる。 |
ペトラ地図 |
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水滴で写真も撮り難い状況になった。列柱通りを進み、凱旋門をくぐり、 レストラン「バシン」に到着。濡れた衣類を乾かしながら、昼食を摂り、 やれやれ。 そこにシークが閉鎖との連絡が届き、徒歩での帰路をあきらめ、 施設の従業員用のトラックで救出される。 山の上の道を行き、普通の観光客ではみられない景色を見ることができた。 |
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通行人に対する宿泊環境などのサービスにも気を使い、 自らも暮らしやすい街を作っていたことが分かる。 |
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