イスラエル・ヨルダンの旅
旅人・写真:岩田あつし   アクセスカウンター

2020年1月21日~1月28日,クラツー,TD: 垣浦
 


 イスラエル・ヨルダンの旅の日程 


[第1日] 成田からモスクワ経由テルアビブへ
[第2日] イスラエル ナザレ、ガリラヤ湖観光
 [受胎告知教会] [聖ヨセフ教会]
 [タブハ教会] [ペテロ召命教会]
[第3日] ヨルダン観光
 [死海] [ネボ山] [聖ジョージ教会]
 [ウム・アル=ラサス遺跡] [夜のペトラ]
[第4日] ペトラ観光
 [エルハズネ] [ペトラの街]
[第5日] ベツレヘム観光
 [海抜零点] [生誕教会]
[第6日] エルサレム観光
 [オリーブ山] [神殿の丘]
 [ビアドロローサ] [シオンの丘]
[第7日] アブダビからモスクワ経由
[第8日] 成田着

イスラエル・ヨルダン観光地図 


   第6日 エルサレム観光 




シャローム・エルサレム・ホテル


エルサレムの朝焼け




  エルサレム旧市街  
  

エルサレム旧市街はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教全ての聖地とされ、嘆きの壁、聖墳墓教会、岩のドームなど各宗教の施設がある。旧市街は城壁に囲まれ、東西南北に宗派ごとで四分割されている。北東はムスリム地区、北西はキリスト教徒地区、南西はアルメニア正教徒地区、南東はユダヤ人地区となっている。嘆きの壁はユダヤ人地区の東端にある。嘆きの壁の上はムスリム地区に属し、神殿の丘と呼ばれる、かつてのエルサレム神殿の跡で、ここにはイスラム教の聖地アル=アクサー・モスクやイスラーム建築の傑作とされる岩のドームが建っている。
エルサレムの旧市街とその城壁群はヨルダンの申請で1981年に世界遺産に登録された。しかし、周辺都市は情勢が危うく、また宗教間で歴史を通して領有権が争われてきたことなどから、最も長い期間危機遺産となっている。

 エルサレム旧市街地図




エルサレム旧市街パノラマ

オリーブ山

オリーブ山(Mount of Olives)は旧市街のイスラム地区から約1.5kmほどの場所にある標高825mの丘陵で、古くからオリーブ畑があったことから名づけられました。麓にはユダヤ教の墓所が広がり、旧市街から徒歩で20分ほど急こう配を上れば、眼下にエルサレム発祥の地「ダビデの街」や「神殿の丘」などを臨む大パノラマが楽しめます。イエス・キリストが好んで立ち寄ったとされるゲッセマネには豪華な教会もあります。


オリーブ山展望台からの旧市街 岩のドーム、聖墳墓教会のドーム、城壁、城壁の門が見える





ツアーの仲間と記念撮影


ユダヤ人墓地

主の泣かれた教会 Dominus Flevit Church.

イエスがエルサレムを見渡され、その行く末を嘆き、案じて涙を流された


涙の粒、泪壺(なみだつぼ)の形のドーム




イエスの時代の墓


祭壇と窓 窓からエルサエルの市街を一望できる


祭壇下にある翼を広げためん鳥のモザイク 





苦悶の教会

新約聖書のルカ福音書によるとゲッセマネの園において、イエスが処刑前夜の夜を苦しみながら神に祈ったとされる最後の場所。1925年に当時の姿を残しつつ世界12か国からの献金によって再建された。(万国民の教会)


入り口支柱にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの像。外壁に描かれたモザイクのファサードが美しい。




礼拝堂 祭壇の前には、イエスが祈ったとされる岩の一部が置かれている。





落ち着いたデザインのステンドグラス



ゲッセマネの庭
教会の近くにある庭でイエスもよく訪れたといわれる。


ゲッセマネの庭と古いオリーブの木。


ロシア正教会 映画ダ・ヴィンチコードでキリスト教徒以外にも有名になった


ケデロンの谷から、ロシア正教会、主泣きたもう教会、ユダヤ人墓地を見る 

神殿の丘

エルサレムの旧市街にあるユダヤ教、イスラム教の聖地である。神殿の丘の上にはイスラム教の施設 岩のドーム(西暦690年)、鎖のドーム、昇天のドーム、アル=アクサー・モスク(西暦710年)が建っている。神殿の丘の西側外壁がユダヤ教の聖地「嘆きの壁」である。


神殿の丘を空から見る


糞門(ふんもんDung Gate)から城内に入り、架橋を通り、モロッコ門のセキュリティを通り、神域に進む。架橋の下に嘆きの壁があり、上から写真を撮る。


嘆きの壁 左が男、右が女




岩のドーム 聖なる岩を囲むようにドームが建てられた


岩のドームと聖泉





ドームの中央にある岩は、ムハンマドが天国に旅立った場所とされ、イスラーム教ではメッカ、メディナに次いで第三の聖地とされている。現在はイスラム教徒の管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある。7世紀末に完成した集中式平面をもつ神殿である。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩(Foundation Stone)を祀っている。それゆえ、このドームはその神聖な岩を覆った記念堂であり、礼拝所ではない。


嘆きの壁の前で




嘆きの壁の左の祈りの部屋




嘆きの壁の前の広場で歌う子供たち

ビア・ドロローサ

ビア・ドロローサとは、イエスが死刑の判決を受け、茨の冠をかぶせられ、自ら十字架を背負って歩いた道のことです。旧市街イスラム教徒地区からキリスト教徒地区へと続くおよそ1kmほどの道です。ビア・ドロローサには、聖書の記述や伝承に従って、14が指定されています。ビア・ドロローサの出発点はローマ総督ピラトの官邸、終着点はゴルゴダの丘です。イエスはゴルゴダの丘で磔刑(はりつけの刑)で処刑されるのです。ゴルゴダの丘とされる場所には、現在、聖墳墓教会があります。

ビア・ドロローサの14留
 1 イエス、死刑判決を受ける
 2 イエス、十字架を背負わされる
 3 イエス、十字架の重みで倒れる
 4 母マリアが十字架を背負ったイエスに出会う
 5 キレネ人シモンがイエスに替わって十字架を背負わされる
 6 女性ヴェロニカがイエスの顔を拭く 
 7 イエス、2度目に倒れる
 8 イエス、悲しむ女性たちを慰める
 9 イエス、3度目に倒れる
 10  イエス、衣を脱がされる
 11  イエス、十字架に付けられる 
 12  イエス、十字架上で息を引き取る
 13  アリマタヤのヨセフ、イエスの遺体を引き取る
 14  イエス、埋葬される (10から14までは聖墳墓教会のなかにある) 


第2留 標識 イエス 十字架を背負わされる


鞭打ちの教会


鞭打ちの教会の祭壇


ビア・ドロローサの配置模型


第3留 標識 つまずいたイエス


イエスが最初につまづいた場所




第5留 標識 シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所


第6留 標識 女性ヴェロニカがイエスの顔を拭く (ベロニカの教会) <


第7留 イエス 2度目に倒れる


第8留 イエス 悲しむ女性を慰める 聖ハラランボス・ギリシャ正教会


第9留 聖墳墓コプト教会


第9留  標識 イエス 3度目に倒れる




聖墳墓教会


第11留 イエスが十字架にかけられた (聖墳墓教会内部)


第12留 イエス 十字架上で息を引き取る (聖墳墓教会内部)


天井がひときわ綺麗に飾られている


磔の刑の場所


十字架を建てた穴の付近


十字架から下ろされるイエス


横たわるイエスと嘆き悲しむ人人


第13留 アリマタヤのヨセフはイエスの遺体を引き取る。
この石の上で香油で清められた亜麻布に包まれた。


第14留 イエス、埋葬される=復活の場所:復活の御堂


光輝く天井


周りで墳墓に入るのを待つ信者


シオンの丘付近


オリーブの丘の展望台 斜面には墓がならんでいる。


最後の晩餐の部屋:イエス・キリストが処刑される前夜、十二使徒と共に夕食を摂った
シオンの丘のダビデの墓にある建物の「上の部屋」(15世紀にイスラム教支配の時代にミフラーブに改装された)


福音書にはイエスが賛美の祈りの後、パンと葡萄酒をそれぞれ「自分の体」「自分の血」として弟子たちに与えたと記される。


柱の頂にペリカン彫刻が刻まれている.ペリカンはイエスの象徴だそうで、自分の胸に嘴で孔を開け,子に血を与えて育てるという言い伝えがある。


ダビデ王の棺 ビロード布を架けられた全長3mの石棺があり、それを半分に切るように,男女室間の壁で仕切られている、


ダビデ王の墓入り口に、9本立てのメノラーがある。普通7本なのでこれは特別仕様。


聖マリア永眠教会
シオン丘近くにある。地下に永眠するマリア像がある。


遠くから見ると非常に大きく、エルサレム最大だそう。


祭壇




横たわる聖母マリア(等身大)


イエスが母マリアの遺体を見ている


聖母マリアと12聖人

これらで、エルサレムの観光は終了、1日では一部した見ることができない。

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