ロシア芸術探訪  
 旅人・写真:岩田あつし
2019/7/23~7/31 クラブツ-リズム, TD: 内野   アクセスカウンター



 ロシアの旅の日程 
第1日 成田からモスクワ乗換サンクトペテルブルクへ
第2日 サンクト・ペテルブルク
  [エルミタージュ美術館 宮殿と装飾] [絵画と彫刻]
  [エルミタージュ美術館新館] [エルミタージュ劇場]
第3日 [ポクロフスキー寺院] [イサク聖堂]
  [血の上の救世主教会]:
第4日 [エカテリナ宮殿] [ピョートル大帝の夏の庭]
第5日 モスクワ経由 セルギエフ・ポサートへ
  [トロイツェ・セルギエフ大修道院,ウスペンスキー寺院]
第6日 スズダリ [クレムリン] [スパソ・エフィミエフ修道院]
  ウラジミール [黄金の塔] 列車でモスクワへ
第7日 モスクワ [赤の広場 聖ワシリー寺院] [グム百貨店]
  [コローメンスコエ] [ノヴォデヴィッチ修道院]
第8日 クレムリン [武器庫,ダイヤモンド庫] [聖堂,宮殿]
  [トレチャコフ美術館]
第9日 モスクワから成田に帰る


 ロシアの地図と旅のコース 



第7日 モスクワ市内観光(1) 


 モスクワのビル 

モスクワのビルの面白い風景。共産政府時代の建築様式のホテルビルと、その後に現代の 高層のオフィスビルが林立する。
 


 赤の広場と聖ワシリー寺院 
 
モスクワ観光初日は都心部にある広場である。長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000m2。 「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。広場は北西から南東に長く、南西側にはガガーリンやスターリン、片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。

花が咲ききれいな公園


国立歴史博物館を左に見ながら赤の広場に入ると、 ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)が迎えてくれる


左:国立歴史博物館、右:クレムリン


左:ヴァスクレセンスキー門 右:カザン聖母聖堂


左:国立歴史博物館、右:ヴァスクレセンスキー門


カザン聖母聖堂


赤の広場 左:グム百貨店、行事準備のため広場の中央部は立ち入り禁止


レーニン廟


ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)の前で


ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)に近づく


玉葱屋根を見上げる


ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)の内部


ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)の祭壇のイコン


ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)の祭壇のイコン

動画「赤の広場」
動画「赤の広場」

赤の広場から東側を見る


ゴム百貨店の入口からみた赤の広場とクレムリン

 グム百貨店 

グムは帝政ロシア時代の1893年に建設された、ロシアを代表する建築物である。1917年のロシア革命の時点では店舗数が1200あり、革命後はグム自体はソビエト政権により国有化されたが、個人商店はそのまま営業が認められた。その後、ソビエト連邦成立に前後した経済政策の変更を経て、ヨシフ・スターリンによる独裁体制の下で1928年、グム内の全ての店舗は国営に接収された。その後もGUMはモスクワの消費生活の中心として、ソビエト連邦の経済のショーウィンドウの役割を果たした。 1985年に登場したミハイル・ゴルバチョフ政権によるペレストロイカ政策により、個人商店が復活し始め、資本主義国の企業との合弁商店も進出した。ソ連崩壊によりボリス・エリツィン大統領が率いるロシア連邦が復活した後の1993年、エゴール・ガイダールらによる急進的な経済改革により民営化が進んだ。また、赤の広場に面する入口が開放され、ロシア革命以前の姿に回帰した。2005年にはロシアの高級品流通グループが過半数の株を取得し、現在まで経営権を把握し200店舗が営業している。

アーケードの中心部のド-ム


三階建てのアーケ-ド




中心部の噴水広場 3階のカフェで休みながら見下ろす


あじさいが咲く、きれいな広場

 コローメンスコエ 
 

モスクワ郊外、モスクワ川ほとりの高台にあるコローメンスコエは、白亜の壁が印象的な昇天教会をはじめ、カザン聖母教会やピョートル大帝の小屋など数々の見どころが点在する。ここは、かつて歴代ロシア大公の宮殿があった場所でした。1532年、大公だったヴァシリー3世は、のちにロシア初代皇帝イワン雷帝となる子供の誕生を祝い、その敷地内に高い塔状の「主の昇天教会」を建てた。ロシア正教会の教会堂としては最初期のもので、ロシアに現存する石造建造物では最古だということです。通常、ロシア正教会の教会堂は、「クーポラ」と呼ばれる玉ねぎ型の屋根を持つのが特徴ですが、この建物は8角形の尖った塔が一つだけで、ビザンチンやギリシア、ローマ、ゴシック様式と、ロシア古来の木造建築技術を教会建築に生かしたシャーチョール様式を確立した最初の建物です。 このスタイルは、17世紀半ばまでロシア全土に広まり、ロシアの建築様式にも大きな影響を与えることとなった。その重要性が評価され、1994年に世界遺産に登録されました。1925年以降、コローメンスコエは野外文化財博物館となり、教会もその展示館の一つとして一般公開されています。

入口のスパスキエ門


カザンの生神女聖堂とペレードヌイェ門・宮殿正門

 

カザンの生神女聖堂とペレードヌイェ門・宮殿正門


離宮の正門

 

正門をくぐると思わず息を飲む絶景、主の昇天教会とモスクワ川の流れ


主の昇天教会


主の昇天教会





ゲオルギーの鐘楼と主の昇天教会



 ノヴォデビッチ修道院 
 
ノヴォデヴィチ修道院は1524年に、スモレンスクがモスクワ大公国に併合されたのを記念して、ヴァシーリー3世の命で建てられた女子修道院です。クレムリンの出城としての役割を担っていたため、城壁に囲まれているのが特徴で、1524年~1525年建設のスモレンスキー聖堂をはじめ貴重な古い建造物が残っています。白壁と赤レンガの鐘楼が美しく、ユネスコの世界遺産に登録されています。
城壁の外には湖があり、この湖越しにみる修道院もまた違った美しさがあります。チャイコフスキーがこの湖の周囲を散歩しながら、バレエ曲「白鳥の湖」の構想を練ったという逸話も残っている。





   モスクワの街並み 


クレムリンの城壁とモスクワ川の遊覧船


クレムリンとモスクワ川に架かるボリショイ・カーメンヌイ橋


ピヨートル大帝記念碑

  [第8日に続く]